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2007-03-03

全冷中「冷し中華祭り」秘話

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山下洋輔が初代会長を務めた全冷中秘話です。ヒゲ醤油のHPから消えてしまったので転載しました。しかしメンツが凄まじい。矢野顕子やら三上寛、坂田明..etc...目が眩みますな。




全冷中「冷し中華祭り」秘話


20数年前、「全冷中」という会があった。冷し中華をこよなく愛する人間が集まった、日本を元気にした会だった。


発案者で初代会長が、著名なジャズピアニスト山下洋輔さん。その実兄でヒゲ醤油専務である山下啓義が「全冷中」発会と「冷し中華祭り」開催までのいきさつを明らかにする。日本の現状を打破し元気にするヒントがあふれていると思うからだ。

 なお、弊社では「全冷中」の精神を尊び、季節に関わりなく冷し中華スープの供給に最大限の努力を払うことをお誓いする。


(YOKO)


その1 発会のいきさつ

その2 スポンサーへの道

その3 危しスポンサーの座

その4 冷し中華祭り開会

その5 宴の後


その1 発会のいきさつ


1977年昭和52年4月1日東京有楽町読売ホールロビーは開場を待つ若者でごったがえしていた。全日本冷し中華愛好会(全冷中:ぜんれいちゅう)の主催する「第1回冷し中華祭り」が間もなくその幕を切って落そうとしているのだ。集った人の波は、ホールのある7階から階段を下へ下へと流れ一階の入口近くまで続いており、その人波の発する熱気はムンムンとすさまじく、一種異様な雰囲気さえただよっていた。

私と浅野君と福江君は一階の荷物運搬用エレベーターヒゲ冷し中華つゆ200mlびん20本入のダンボールカートンを満載した台車押しこみ、7Fのボタン押した。


「こんなに大勢集るとはおどろきましたね。」と浅野君。

「うん、どえらいことになったなァ」と私。

「しかし、ヒマな人も居るもんですね」と福江君。


7階に着くとロビーの壁際にあらかじめ用意しておいてもらった机の上に、ダンボールから取り出した「ヒゲ冷し中華つゆ」のびんをなるべく目立つように大陳ディスプレイし、ポスターも派手に貼りまくった。読売ホールロビーの一隅がスーパーマーケットデモンストレーションセールスの場になった感じである。他には、この日に合わせて発売された住宅新報社出版、全日本冷し中華愛好会編の、「空飛ぶ冷し中華」という本を売るコーナーや、山下洋輔ヨーロッパツアーの演奏を収録したレコードを売るコーナーなどがセットされ、ホールロビーお祭りの夜店のようなムードとなってしまった。まさに、この得体の知れない、何が起るか誰もわからない、「冷し中華祭り」の会場にふさわしいお膳立てが出来上ったと云えよう。

瓢箪から駒、ということは聞くが、こんどのことは、まったく、冗談から仕事、としか云いようがない。


ジャズピアニストの弟、山下洋輔が、一寸した冗談から、「全日本冷し中華愛好会」を結成し、自から初代会長におさまったのは、1975年昭和50年)1月のことであった。その動機とかいきさつとかは、当時の雑誌や、新聞テレビラジオ等でかなりの話題として取り上げられ、あるいは真面目に、あるいは面白おかしく報じられたのでご存知の方もあるかと思う。私が本人から直接聞いたところでは、大体次のようなことであった。


…(前略)…

1月のある日、東京杉並の天沼2丁目の日本そば屋「長寿庵」で昼間からビールを飲んでいたんだ(当時、彼は天沼に借家住まいをしていた)。音楽雑誌仕事が一段落したあとだったと思う。雑誌編集者と当時の俺のマネージャーと3人で。結構盛り上がっていたんだ。その時、なぜか急に冷し中華そばが食いたくなった。冬だから無理とは思ったが注文したら、やっぱりまだやっていないと云う返事。この時だ。急に俺の中で何かが燃えた。

「なぜだ!」「なぜ冬はやらないのだ。どうして冬は食ってはいかんのだ。これはまったくいわれのない差別ではないか!」酔いも手伝って考えはかけめぐる……その結果が例の声明文となったわけ。自分でもどこまで本気で、どこまでがジョークかわからないままのめりこんだというか、のみこまれたというか。

…(後略)…


例の声明文というのはこれである。


全日本冷し中華愛好会結成のお知らせ

皆様には益々御活躍のことと存じます。さて、爾来、我国の生んだ最高の食品である冷し中華愛好者は日に日にその数を増している現状であります。しかるに一部の無理解なる杜会風潮が我々をして一年を通じてかの食品を賞味したいという希望を実現不可能なるものとしていることは皆様方の熟知せらるところであります。

〈我々は何故我国の冬季においては、かの冷し中華を賞味できないのであるか!〉

このような間違った習慣を少しでも変えていこうという主旨のもとに私達はここに「全日本冷し中華愛好会」を結成するに到りました。何卒皆様の御賛同を切にお願いする次第であります。

昭和50年1月吉日


東京山下啓義)


その2 スポンサーへの道


かくして、この不可思議な会は、山下洋輔マネージメント事務所ジャムライス本部を置き、そのファン層、仕事仲間、飲み仲間etcを通じて、枯野を走る野火のようにものすごい勢いで全国津々浦々へ浸透していった。タブロイド版の会報冷し中華」も、その年の9月に第1号が創刊。各界の壮々たるメンバー執筆し、イラストを描き、全国のファン、自称○○支部長と名のるメンバーも続々と登場して来た。あるものは、真面目にその食文化テーマに、論文発表し、又、あるものは冷し中華起源を遠くバビロニアに求め又、ナルト、ハム、キュウリといった具について研究するもの、つゆ、たれを論ずるもの、食べかたの作法を定めるもの等々真面目、不真面目、パロディジョーク入り乱れて一大ナンセンス集団が形成されて行ったのである。


昭和50年(冷中元年)に発足したこの「全冷中」が第1回冷し中華祭りを開催するという話が私の耳に入ったのは昭和51年(冷中2年)の暮れだ。前から、弟が会長をしているこの全冷中を利用して、ヒゲ冷し中華スープの宣伝、売りこみを計ろうと秘かに狙っていたので、こいつは絶対にやらねばと心に決めた。

早速、弟に電話を入れた。


祭りをやるそうじゃないか」

「うん。どこまでエスカレートするんだかわからなくなってしまったよ」

「おれのところで、ヒゲ冷し中華スープっていう冷し中華のタレをやっているのを知ってるだろうが、こんどの会には是非スポンサーとして後援させてくれ。サンプルも出す。金も若干なら会社へたのんで出してもらうから」

「いや、兄貴、そんなんじゃないんだよ。マジでやられちゃ困るよ。遊びの会なんだ。パロディジョークだよ。メチャメチャな会になるかも知れないし、かえって会社の名前が出てシラケたり、イメージ悪くなったらまずいんじゃないの?」

「バカ。お前がプロのピアノ弾きなら、俺だってプロのサラリーマンだ。余計なこと心配せんでいい。うまくやるわい」

「弱ったな。実行委員会とも相談せなならんし……」

「お前が会長だろ。権限ないのか?」

「オレはただの飾りだ。そのオレが兄貴会社スポンサーにしろなんて云えないよ。会長が実兄の勤務する某しょうゆ会社と黒い癒着、なんてことになったらヤバイぜ」

「おまえよく聞けよ。このところちょっと名前が売れて来たと思って、態度がでかいぞ。おまえをジャズの道へ導びいてやったのは誰だったんだ。もちろんお前の才能努力は認めるが……」

「ちょっとまってよ。何もそんな……」

「おまえ達にはお遊ぴかも知れんが、俺には仕事なんだ。こういう話は、兄弟で直接話合うより事務局レベルビジネスライクにやった方がいい。マネジャーか誰かと会いたいので紹介してくれ」

「わかった。でも、結果はどうなるかわからないよ」


数日後、音楽事務所ジャムライス鈴木利恵というかわいらしい若い女性会社に来てくれた。浅野君と二人で会って色々と企画の内容などを聞いて、いかなる形でヒゲタが協賛をしたらよいかを話し合った。彼女は若い(当時19才と聞く)に似ずしっかりした人で、本業は音楽事務所アシスタントマネジャーであるのに、最近は全冷中の事務局長という大役までおしつけられ、むしろその方の会報の作成、発送、会員との連絡等に忙殺されながらも一人二役を見事にこなしている才女と見うけた。

「結構お金もかかるんです」とクレイジー会長が始めた全冷中なるものにいささか困惑しながらも、4月に開催する第1回冷し中華祭りの成功に花の青春を賭けている、といった決意が全身にみなぎっていた。話し合いの結果は、以下の通りであった。


(1)冷中祭りのB全ポスターの下にヒゲ冷し中華スープ広告を入れる。

(2)ポスター、入場券に「協賛・ヒゲ醤油」を入れる。

(3)抽選で200名に冷し中華200mlびんを提供する。

(4)前記(1)〜(3)の広告料として5万円をヒゲタが支払う。


東京山下啓義)


その3 危しスポンサーの座


これでひと安心と思っていたら翌日、ジャムライスマネジャーである岩神六平という男が会社に現われた。この男は今でも山下洋輔及びそのトリオマネージメントをしてくれている仲々の腕ききで、若いが色々なアイディア山下洋輔トりオを売り出した縁の下の力持ちである。


「実は誠に申し上げにくいのですが、私共事務局の手ちがいで、前々から九州のD食品という中華調味料メーカーが、エントリーしておりまして。そうです。50年に全冷中を発足したその頃からその会杜の社長がうちのスープを使ってくれ、社内報に山下会長の冷中談をのせさせてくれとしつこく迫っていたわけで。はい。ですから今度の祭りのことでも、上京して来て是非ともスポンサーに、と後に引かないのです。いえ。もちろん私共では、すでにヒゲ醤油さんと約束済みであるからとお断りはいたしましたが、先方はヒゲタさんなら一流メーカー相乗り(注、2社以上で共同スポンサーになること)でも結構、ヒゲタさんがスープを出されるのならうちでは中華めんを出しましょうということで。わかっております。無理は承知の上です。何とか相乗りということでご了解を得られませんでしようか」

ダメです」

しぱらく沈黙が続いたあと私は云った。

相乗りするくらいならウチはおります。あなた、よく考えて下さいよ。いくら熱心かも知れないが、九州の名も知れぬメーカー、しかも同じような調味料を作っているところとウチが相乗り出来ますか?それに、どこで祭りを開くのですか?九州ですか?ちがうでしょう。有楽町でしょ。東京ですよ。東京のソバ屋の90パーセントヒゲタしょうゆの愛用者ですよ。一流をスポンサーにすることはあなた方。格調高い全冷中にとっても大切なことじゃないですか?」

又、しばらく重い空気が三人の間によどむ。

岩神六平氏の顔は、苦悩でゆがみ、口ひげがかすかにふるえている。浅野君の顔は怒りで真ッ赤になって横をむいたままだ。私は何とかここで新しい転換を計らねばと考え、思い切って切り出した。

「岩神さん、あなたの立場もあるでしようから、私の方であと5万出しましよう。それでだめならウチは下ります」

「わかりました。帰って何とか相談してみます。ご返事は明日か明後日になりますが」

「いいですよ。お待ちしています。私も兄としての権威で弟を動かしたくない。何とかあなたとビジネスライク結論を出したいのです」


その夜私は弟に電話を入れた。

「六平さんから話聞いてくれたか?」

「ああ、聞いた」

「いいな、あれで」

「そういうことになるか」

「じゃ、たのむよ」

「どうも」

「どうも」


東京山下啓義)


その4 冷し中華祭り開会


会場は熱気と歓声が本大会シンボルマークである鳴戸(なると)の渦巻きのように波打っていた。第1回冷し中華祭り1977年4月1日午後6時30分その幕が切って落された。午后1時ごろから入口に並んだ名古屋から来た一番乗りの客を先頭に、6時の開場と共に客席はあっと云う間に埋めつくされ、筒井康隆副会長の開会宣言にはじまり、いとも整然と、メチャクチャに、ものすごい音響と共に進行して行った。


■講演「冷し中華思想の変遷」中州産業大教授タモリ

●対論「バビテン論争の総括」奥成達平岡正明

●演奏と舞踏 山下洋輔トリオ大駱駝艦月の砂漠

料理講座

「正調冷し中華の作り方」坂田明(助手・矢野顕子

コント「鳴呼!冷し中華東京ボードビルショウ

来賓祝辞


10名の来賓の3番目に司会者の林美雄氏から紹介された。

「さて次の方は、ヒゲ醤油山下啓義さんです。どうぞおねがいします」

会場からワァーとか、ギャーツとか云う声が一斉に上った。舞台の袖の椅子に座っていた筒井康隆さんが、小さな声で「お兄さんおねがいします」と云った。その声に送られて明るい舞台に出ていった。


(歓声・拍手

「名前は山下啓義と申します」

(歓声)

「勤務先はヒゲ醤油です」

(ギャーツという大合唱……ほとんどの客は、黒い噂を知っている!?)

本日まことにおめでとうございます。このような会が開かれるということを聞きまして、私共ヒゲタとしては、これこそ日本人祭りだ。日本人調味料を作っている我がヒゲ醤油が何としても協賛させていただかなければならぬと思いまして、私が弟にそのことを申し入れました。ところが全冷中の会長である弟は、それは困ると拒否いたしました。

何故かと云うと、全冷中はどんな企業資本との結びつきも拒否する清いアマチュアの会だとぬかしおりました。(笑)

さらに会長の実の兄がしょうゆ屋に勤めていて、何の因果か、冷し中華のタレを作っているとなっては、もうこれは最初から兄弟で仕組んだ陰謀だと会員からクレームがついても何とも申しわけが立たぬし、自分の地位も危ないと泣く始末であります。(笑)私は云ってやりました。今でこそ、山下洋輔トリオだなんて多少は名が売れたか知らんが、ジャズの道へ導びいてやったのは誰だと思う。腹をすかしていた貧しいピアニスト時代にカツドンを食わしてやったのを忘れたか。と。(笑)その結果やっとのことで、ヒゲタしょうゆは日本一美味しいしょうゆだとか、ヒゲタの冷し中華スープは最高だとかPRめいたことは一切云わないからという約束で本日お祝いに出席させていただくことが出来ました。(笑・拍手

さきほど楽屋に私共の社長から電話がありました。山下よくやった。給料を上げてやるぞとのことでした。(笑)

これもひとえに全冷中のおかげでございます。本日を期にますますご発展なさいますようお祈りいたします。ありがとうございました。(大歓声と拍手

袖にもどると、筒井さんが椅子から立ち上って、「いやあ、よかった。ありがとうございました」と手をさしのべてくれた。


東京山下啓義)



その5 宴の後


来賓挨拶が終ると更にプログラムは進む。

○座談会「漫画家にとって冷し中華とは何か」:黒鉄ヒロシ高信太郎長谷邦夫長谷川法世

○歌:矢野顕子・三上實

○全冷中支部長あいさつ:多数

会長交代:山下洋輔筒井康隆


本日一番の大歓声と大拍子に迎えられて、全冷中初代会長山下洋輔舞台中央のマイクに向った。トレードマークの口ひげ。細いメタルフレームのメガネを人さし指でちょっとずりあげた。会場は一転してシーンと静まりかえった。会長は、ゆったりとした口調で、適当な間をおき、静かなしかし低く通る声で、会長を辞任することを告げた。

「……(前略)……先ほど、舞台におし入って来た、実の兄が何の因果か某大手しょうゆメーカーに勤めており、冷し中華のタレを作っているという厳然たる事実を認める時、全冷中の会長としてこれ以上在位することは、いたずらに会員諸君の疑惑をかきたて会の健全なる運営と発展を阻害するものであると判断し、ここにいさぎよく身を引くことを決断したものである。……(後略)」

会場からは、「ヤマシターやめるな−!」という声が上った。若い女性のすすりなきの声もあったと聞く。このあと第2代会長に、筒井康隆氏が推挙され、場内破れんばかりの大歓声の中に、年号が冷中3年から鳴戸元年に改められたのである。

○フィナーレ:「大合唱、ソバヤ」リードボーカル坂田明

かくて舞台と会場は大合唱、大乱舞の内に第1回冷し中華祭りは幕を閉じた。


全冷中は、その後、第2回大会1978年鳴戸2年)4月26日に、大森平和島湯泉会館で開催した。新しい企画をもりこんで、これ又大盛況ではあったが、第1回ほどの盛り上りはなかった。私と全冷中の勝負は、やはりあの第1回が最初にして最後であったと思う。

そして一年後、「全冷中は死んだ!」という声明文と共に全国冷し中華愛好会は解散した。あの連中は、又、新しい遊びを、ジョークを、パロディを求めて旅立ったのだろう。

しかし、それにしても、あの連中の遊びの精神の見事さにはおどろくばかりだ。あの精神、あの発想、あの創造力、あのバイタリティは敬服に値する。

いろいろなジャンルの人々と知り合い、新しいものの見方、考え方を肌で感じとる努力を我々は、もっと、もっとしなければならないと思う。


1981年11月16日山下洋輔は、新しい試みのリサイクル新宿コマ劇場で開いた。自分のトリオの他にジャンルの異なる若いジャズミュージシャン達を加えてのリサイタルであった。常に何か新しく進歩している弟の仕事を見ていると、兄の私としても、大いに刺激を受ける。

終って楽屋に行ったら筒井康隆さんも来ていた。筒井さんは、最近クラリネットにこっていて、以前山下トリオテナーを吹いていた、中村誠一に教わっている。今日リサイタルアトラクション山下トリオプラスで出演し、昔なつかしいベニーグッドマンスタイルスイングジャズを演奏してヤンヤの喝釆をあびたのだ。

「いやー、冷中以来ですね」

「ほんとに」

「しかし、見事なスイングで」

「いやァ、もうクラリネットを抱いて寝てますよ」

弟が間に入って来て、

「筒井さんは、今、全然ペンを持たなくなっちゃったんだ。かわりに中村誠一に書かしているんじゃないのかな」

「しかし、あの曲はなつかしかった。思わず舞台に飛ぴ出したくなったよ」

「そうだ、お兄さんはドラムやってたんだ。今度是非一緒にやりましようよ」「いや、とても、とても」

と云いながら、それも面白いな。いや尺八ジャズをやってみようかな、などと、私の小さな遊ぴの虫がうずくのであった。


完(東京山下啓義)

mine-Dmine-D2007/03/03 12:404カ国語麻雀、オリジナルはクォリティ高いですね。青森弁は寺山修司の真似かなぁ。持ってたわけではないのですが、父親の同僚に車の中で聴かせてもらって笑い転げた記憶あります。おれが中学くらいですかね。CD聴きたいです。
ハナモゲラは筒井先生も取り入れてましたね。確かハナモゲラで短歌を詠んだ作品があったはずです。

barongbarong2007/03/04 22:04筒井先生!?ハナモゲラで俳句っすかw想像つかないというかそれは俳句になっているのか非常に疑問が残りますが聴いて(見て?)みたいですw

mojomojo2007/03/20 00:42素晴らしい!!っていうか、タモリは夜中の人なんだ的なタモリ評価を聞くのが好きです。言いよった~~出た~~~って思っちゃいます。

barongbarong2007/03/29 23:40wahaha
タモリリスペクツ!

コワントーコワントー2008/09/28 04:31結局兄は弟の「マジでやられちゃ困るよ」を完全無視したわけだ(笑)
第三章なんて殆ど恫喝みたいなもんじゃないか..よく自分で晒せるもんだ

barongbarong2008/11/15 23:33この人たちの傍若無人っぷりには閉口してしまいすねw
そこが非常に魅力的なわけですが

RenniferRennifer2011/12/28 17:14Kudos! What a neat way of tihkning about it.

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