Crime and Punishment...?

2006-09-02 (Sat) Ti voglio bene,california

タイトルイタリア語で「愛してる、カリフォルニア」です。

最近は疲れるのでCalifornicationばかり聴いています。

カリフォルニアに行ったことがないのでよく分かりませんが、おそらくこの曲の中では、「幻想の集まる場所」なんだと思います。

この州は南アメリカアジアに近くて移民が多い場所と聞きます。カリフォルニア幻想を抱いてやって来る人達も少なくはないはずです。

僕が思うに、曲中でその「幻想」をビジネスにしてしまうシステム、またはそのビジネスそのものを「カリフォルニケイション」としているような気がします。金、名声、美貌、、、それらを手に入れるために人は何かを失っていきます。この曲だけの話でなく、そういうことは決して珍しくはないのです。

また、「夢」から覚めてしまった悲しみもあります。覚めたからこそ、書ける歌詞だからです。

「夢を追いかけた先に見たものは、悲劇だった。」というようなメッセージが伝わってきます。若くしてその命を絶ったカート・コバーンも、「カリフォルニケイション」の犠牲者だったのかな、と思います。

あまり関係はないのですが、ピンと来たので杜甫の「絶句」を載せます。


昔聞洞庭水──昔聞く洞庭の水

今上岳陽楼──今上る岳陽楼

呉楚東南泝──呉楚東南に泝け

乾坤日夜浮──乾坤日夜浮かぶ

親朋無一字──親朋一字無く

老病有孤舟──老病孤舟有り

戎馬関山北──戎馬関山の北

憑軒涕泗流──軒に憑れば涕泗流る


洞庭湖の水は素晴らしいと、昔聞いたことがある。

今、その景観の見ることの出来る岳陽楼に登っている。

呉楚の東南地方が二つに裂けて、

天にある太陽と月が入れ替わりながら、水面に浮かんでいる。

ふと思えば、親しい人達からは一通の便りもなく、

老いて病を患う私は、いわばこの世界に浮かぶ一艘の小舟だ。

国境の山がある北方では、未だ戦が続いているらしい。

楼の手すりによりかかると、自然と涙があふれ出す。


孤独、挫折、悲劇、、、もしかしたら、杜甫アンソニーは通じるものがあるのかもしれません。

acha-oohacha-ooh 2006/09/03 02:06 雄渾にして沈痛ですね。小泉さんかと思いました。杜甫は舟で没してますよね?確か。この句は感慨深い。カリフォルニア。「幻想」は必ず「現実」の土台があり、それを忘れてはならないって事だと思ってます。しかしその幻想は魅惑的である。現実を知っても魅力が欠ける事はなく、作り出されたとしても「幻想」として漂い続ける。洞庭湖の水みたいな存在です。良いと聞き付けて行っちゃったんですから。アンソニーは知った上で敢えて漂っている気がします。ん〜。何となくですけど。それくらい魅惑的な文化なんでしょうかね。私も行った事ないです。

charinco001charinco001 2006/09/03 18:36 >acha-ooh様
ありがとうございます。はい、確か杜甫はこの詩を書いてから2年後に舟の上で没していたのではなかったかと思います。もうどこにも「カリフォルニケイション」からは逃れられないのだと思います。だから、"Space may be the final frontier,but it's made on Hollywood basement." なのだと思います。杜甫も美しい風景を見ているときですら己の境遇を嘆いています。おそらく誰もがその「理想郷」を夢見るのだと思います。

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